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アメリカ、そして私。

渡米準備から等身大で綴っていく徒然日記。 ※“MENU”をクリック!(ポップアップでカレンダーetc.がでます)
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SIPAへの意思表示、了。

ついに、振込みました1000ドル。

SIPAに行こう。

4月は、人生のことまで考えたり、さらで自分を見つめ直したり、向き合ったり、先のことまで考えたり、
ゆっくりそんな時間をとった意味で有意義な週末を過ごせたと思っている。
家に引きこもってネットしたりなんたりの日々だったけど笑。

その分、準備は何もしてないような状況で、
これからサマースクールに申し込んだり、引越しの準備したり、予防接種や歯医者さんなどなど、
そしてビザ申請も、色々急ピッチで、でも確実にやっていかないと。
もって行くものとか、20代の今会うべき人とか、そんなところもやりたいところだし。

そして、インターンとか、何を勉強しようとか、そのあたりも、もうない機会だし、
自分らしく素直にやっていかないとね。

気持ちをしっかり持って、留学マインドのある人へのポジティブな言葉とかも含めて、
助けてくれた人への感謝の表明も含めて、
色々とやっていこう。

それにしては2ヶ月という期間は短すぎるなあ苦笑。

仕事に没頭した2,3,4月だったとすれば、
これからは心は留学準備にして、その上で色々日々やっていく、そんなスタンスにいよいよ切り替える。

やっと気持ちが整理された。
やっと本当にマインドや心が向かった。

えいや、では動けないんだよね、こうゆう大きなことは。
本当に自分で一度思って、よし、やろう、やるぞ、って心から思わないと。
何のために、とかどうして、そしてこれはきっとこれから、、、と、今一度しっかり持った上で、
何があっても突っ切っていける力にもなる。
3月4月の迷っていた時期は、そのための準備期間。
2年間の礎の期間として大切な時間だったと改めて認識。


今日は、自由が丘で陶芸などしてきた。
スイーツフォレストで不思議なスイーツもたべたりしてオープンテラスでだべった。
最後は焼肉に日本酒をして語ってみた。
その前には、ニールと発音やイントネーションの大切さ、会話などをやってきた。
ディクテーションが私のリスニング力向上には役立ちそうなことがわかった。

友人のマインドにも気づいた。
開発、の人々の仕事のない状況にも改めて肌感覚をもった。
結婚とかしている、そしてこれからする友人の気持ちにも触れた。
なんだかよくわからないけど、20年後の私たち、何をしているだろうねって久しぶりにそんな話もした。
想像つかなかった。
ぽいってものもあるけど、どう転ぶか、どっちに行くだろうか、みんなわかんない。
みんなどっちに進むかわからないし、バラバラに向かうかもわからないけど、
それでも婦人会は会として集まるんだろうねっていわれて、そりゃそうだろうと思った。
ほんと、友達がいるんだなっておもった。

そんな友達の集まりは2年休止するけど、グアム会やNY会とか、そんな大イベントも実現するかもわからないし、そんなことも考えたら楽しみも大きいね。
メールとか、いやブログとか、できたりすると、また遠いからこその深さも出てくるかもしれないし。

先のことはわからない。

いずれにしても、これからまた一歩踏み出す。
そして踏み出して走る日々がまた始まりそう。
1月に出し切って、2,3,4、としばし距離を置いた英語や留学準備。
しばし日本に留まるひとであるかのように、心を落とした3ヶ月はそれはそれで大きかった。
その間、白書をちゃんと執筆するという、仕事も一つ成し遂げつつあったし。
あと少し、ちゃんとやって、立つ鳥なんとかで、ちゃんと渡米できるように、いいスタート切れるようにやりきろう。
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ほっとした。

ジョン、ホントにほっとした。
セッションが終わって、安心したって日本語でいってしまったほど。復唱されたほど笑。
なんか、終わって歩いてるとき、久しぶりに息を吸ったような気がした笑
こんなのはじめてかな笑。

思っていたより自身が思い詰まってたんだと気づいた。
特に風邪引いて、そうだったとおもう。
ジョンもぶっちして。何もおわってなくて。
エッセイのトピックが決まらず、PPPでも自身が全くなかったから、それが大きかった。
トーフルが終わらないのもつらかったけど、それ以上にテーマが決まらないのは
白書のテーマが決まらないのとストーリーにあれやこれやとひろーく悩むのと同様に
きっと想像以上に考えをつくすものだったんだろう。



JOHN①  さあ、リライトだ。。プログラム、チャンスは残ってるレベル。

JOHNはホント頼りになる今唯一の人であって、なおかつしっかりしてるけど本当にやさしい。
foreignerを普通に頼りまくって話てる自分って、昔はなかったからその分成長はしたんだろうけど。。

いやあ、今日はこたえた。

たぶん、どこかで気づいて分かってたんだと思う。ずっと目をそむけてたこと。

TOEFLが上がらない、そしてプログラムにこのままだと足きりで引っかかる。

すっごいエッセイとレジュメを完璧にすれば、みんなを頼って、お金もかけて、時間もかければ、
TOEFLもカバーできるか、とおもってた。
そう思いたかった。
自信がなかったから、早くとりかかろうとおもって、とりあえずアメリカに5月に行ってみたりした。


きっと分かってたんだよ、とくに5月は。


ずっと分からないフリしてた。5月以降。
今日、はっきり向かい合った感じ。

エッセイとレジュメを完璧にもっていこう、そうしたら、まだチャンスは残っているから、
ってゆうレベルにあるらしい。
そうだよね、100ないっていってもぎりぎりないのではなく、94って大分足りないから結構絶望的かも。
SIPA以外は100切るととった実績きいたことないってJOHNいってたし。
うー。。。んん。。

Essay 10/8 24-26

Main interest and origin of it


   
My interest in community development started in college days. In my third year, I entered a seminar of public finance, and came to realized that an effective economic policy did not necessarily improve the situations of citizens in Japan. I still remember the first field research in the Saitama prefecture, the adjacent city of Tokyo about the negative impacts of central government’s strong policy that encouraged mergers of many local governments. From book based study including economic analysis, I had learned reasonable conclusions that since the scale merits worked, mergers were effective policy for the local governments with huge debts, otherwise economically collapsed. However, the interviews from Saitama citizens revealed that the policy rather deprived some basic access to public services such as the health care for senior citizens and educational opportunity for children, since hospitals and elementary schools were moved out from countryside area to central areas after mergers. I was impressed with this serious impact on the social weak caused by the central government policy and realized that both economic sense of management with analytical skills and deep consideration to citizens’ daily lives are definitely necessary for really effective policies for everyone.

 

Essay 10/7 20:00-23:00



(2) Describe what you consider to be your most significant past or present contribution to a community.  Your response should be no more than 400 words. 

I consider that my most significant past contribution is providing opportunities to appreciate classic concerts in free of charge as a flutist to my community members in Tokyo, Japan.



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